Snowman は Snowpal になるのか?

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LA Clippers のオーナーが人種差別的な発言をしたというコトで、このオーナーに対して、NBA が 2.5M USD の罰金を課した上に、リーグからの永久追放という処分を下したというハナシに関して。

NBA、人種差別発言のクリッパーズオーナーを永久追放処分

いや、コレはもう U.S. では、というか、多くの国で「当たり前だろう」という処分なわけで。

少なくとも人種に限らず、例えば性別や宗教や文化や、その他色々…、差別があれば、間違いなく、こういう処分になるでしょうと。

バルサのダニエウ・アウヴェスに対してバナナが投げ込まれたハナシとかもね。

このヒトも、(現時点では) 永久入場禁止処分が確定しているし、さらにもっと重い処分になると思うのだけれども、それだけ差別って非常に重いハナシ。日本では、ソコまで “重い” というカタチで語られていないような気もするのだけれども。

それだけ重いからこそ、発言一つ取ってみても慎重に考えた上で、コトバを一つ一つ選ぶ必要があるわけで。要は “Politically Correct” なのか “Politically Incorrect” なのかというハナシ。”Political Correctness (PC)” というヤツですね。

それこそ、簡単な例で言うと、Miss や Mrs. じゃなくて Ms. を使うとか、職業名などでは “〜man” じゃなくて “〜person” とか “〜officer” にするとか。もちろん日本語でも、そういうのってたくさんあるわけで。

で、ソレで気になったのが『アナと雪の女王』。

あの作品中の曲で、ボクが一番好きな “Do You Want To Build A Snowman” というのがあるのだけれども、コレって「いや、Snowman という単語は Politically Incorrect だ」って言ってるヒトっているのかなぁ…? って思ったわけで。

あれだけ映画が大ヒットしてるわけだから、ひょっとしたら難癖付けるヒトが少しくらいはいるのでは…、と思ったのだけれども、どうやら、それっぽいハナシは出てないみたいで。

ただ『アナと雪の女王』に対して、ではないのだけれども、こういうのはあった。

“Snowpal” Is The New, Gender-Neutral Replacement Term For “Snowmen” You’ve Always Wanted

要は「Snowman じゃ Politically Incorrect だし、だからと言って Snowwoman とか Snowperson とか Snowpeople ってのもイマイチだし…、というコトで “Snowpal” って呼び方はどうよ?」というハナシ。ちなみに “pal” って “仲間” とか “友だち” ね。

そのうち、あの曲の歌詞も “Do you wanna build a snowman 〜” じゃなくて “Do you wanna build a snowpal 〜” って変わるんだろうか…、と思ったりもするのだけれども、それだけ差別って重いし、また sensitive なわけで。

難しいよね。

今年は Local TV Ad の売上があがるらしい (U.S. のハナシ)

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この前だったか、IAB internet advertising revenue report の中で、U.S. におけるインターネット広告の売上高が、テレビ広告の一部である “Broadcast Television” の広告の売上高を超えたというハナシが出ていたっけ。Broadcast Television の売上高を超えたと言っても、もちろん U.S. のテレビ広告って、他にもケーブル TV だったり、あるいは “Local TV Ad” と呼ばれる、地域の放送広告なんてのがあったりするのだけれども (そういえば単純に「テレビの広告費を上回った !!」って、大騒ぎしてた人たち、多かったよね)。

今回、ちょっと目に留まったのが、こういうハナシ。

Local TV Ads Forecast To Rise 8% In 2014

タイトルを見てもわかるように、BIA/Kelsey によると、この “Local TV Ad” と呼ばれる、いわゆる地域の放送広告の売上高が、2014 の今年、若干伸びるというコトが予測されているらしい。

なんでかというと、毎度毎度 “オリンピックまたは選挙のある年はテレビ広告の売上が伸びる” から、らしい。

実際、今年は 11 月に中間選挙があるので、前年 2013 年の $18.4 billion (180 億ドルか…) から、約 8% ほど上がって $19.9 billion (190 億ドル) になるらしい。つまり、政党がたくさん広告を打つわけで。

大統領選挙、あるいは中間選挙といった大きな選挙があると、そのたびに広告の売上は上がるので、少なくとも 2 年に 1 回は売上が上向く…、というか、平たく言えば、毎年微増 → 微減 → 微増 → 微減を繰り返しているという感じになるのかな?

で、ソレに加えてオリンピックが 4 年に 1 回。そうやって考えると、今後は、以下のように推移していくらしいと言われている。

  • 2013 年: $18.4 billion
  • 2014 年: $19.9 billion
  • 2015 年: $19.4 billion
  • 2016 年: $21.3 billion (オリンピックと大統領選があるため)
  • 2017 年: $20.8 billion
  • 2018 年: $22.1 billion

こうやって見ると、なんだかんだで、やっぱりテレビ広告って大きい、というか、すっごくわかりやすいよなぁと思うわけで。

ただ一方で、テレビ局によるデジタル広告の売上というのは、(まだまだ電波に比べれば規模は小さいものの) 年々伸び続けていて、コレが毎年上がったり下がったしていて若干不安定に見えるテレビ広告のパフォーマンスを半ば補うカタチになっているようで。

まぁ、「テレビってオワコンだよね (笑)」なんて、まだ言えるような状況じゃないというコト。

それでも日本企業にだって CMO が必要なんじゃないかと思う理由。

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この記事を読んでいて、ふと思ったコト。

CMOを置くよりも、日本企業に必要なこと

先日発売になった書籍『The Real Marketing―売れ続ける仕組みの本質』の紹介記事として、著者である、インテグレート代表取締役 CEO の藤田 康人さんがインタビューに答えていらっしゃる記事なのだけれども、この中で、日本企業において CMO が必要か否か、というハナシが出ている。

“THE REAL MARKETING―売れ続ける仕組みの本質” (藤田康人)

この中で、氏は、

マーケティング活動全体を俯瞰で見る「リーダー」の存在は必要です。しかしCMOという中央集権的なスタイルが、リーダーシップのあり方として日本企業に適しているか、といえば疑問が残ります。

と語っている。そして、その上で IMC (Integrated Marketing Communication) を語り、この IMC がだんだんと進化していっているハナシが続き、

グローバル企業では、すでにIMC3.0まで進んでいますが、日本の企業は1.0ですら、多くの企業で実践できているとは言い難い。では、ここに強力なリーダーシップを持った人を配すれば、全てがうまくいくかといえば、そうとも限りません。そもそもマーケティングとは、売れ続ける仕組みをつくること。それならば、この「仕組み」づくりで日本企業に合った形を考えるべきではないか…。本書では、その「仕組み」について、CMOがいなくてもIMC3.0を目指せるマーケティング機能のあり方を解説しています。

というように、日本企業に CMO という存在があって、果たしてきちんと機能するのだろうか…、という問題を投げかけられている。

たしかに、そうなんだろうなぁ、とは思う。日本の組織の中である特定の function において、幅広い権限を有するリーダーを配するコトで、どれだけ機能するだろうか…、と思うコトはしばしばあるわけで。ソレが、なんとなく企業文化であったりといった部分に起因するというのも、わかるような気がする。

ただ、コレが “日本企業には CMO は必要ない” という理由になるかといえば、必ずしも、そうは言えないのではないか、とも思うわけで。

そもそも、これまで CMO がいない、というコトで、IMC 云々はさておき、マーケティング活動そのものが、どれだけ戦略的に展開されていないままになっていたコトか…。仕組み云々以前に、その仕組みのベースとなる戦略を策定していくにあたって、CMO 不在の状況で、どれだけ不毛なマーケティング活動をせざるを得ない結果になっていたか…。

マーケティング戦略、そしてさらに、そのベースとなる事業戦略を、トップマネジメントの人間が策定していく際、ソコにマーケティングを専門的に語れる人間がいなかったコトで、マーケティング活動そのものが、営業支援/販促活動の域を出ないというコトは、それこそあちこちで起こっているハナシ。

上記で言及している記事で述べられている「売れ続ける仕組みを作る」どころか「Sales 側で考える “コレやったら売れるんじゃない?” 的な “思いつき” の実行部隊」になっちゃってるトコロを何とかするためには、きちんと事業戦略を策定していく中心的な部分にマーケティングの人間がいなくちゃいけない。ソレがすなわち CMO だと思うのです。

そして、何よりも、こういった立場の方が、マーケティング活動に対して、きちんとした予算を確保する、あるいは設備/インフラ投資を行う、といったコトも強く求められているわけで。どれだけいいアイディアがあったって、先立つモノが無いと、何もカタチにできない。専門性を持った Agency だって使えないし、もう一段階上のレベルのマーケティング活動を行うためのツールだって使えない。結局担当者が力技で何とかしなくちゃいけないというのを繰り返しているだけでは、それこそ「売れ続ける仕組み」なんて、いつまで経っても出来ないし、何も変わらないと思うのです。

リーダーシップもさることながら、組織のマネジメント層の中枢に位置し、きちんと事業戦略を策定する。そして、そのための適切な予算や設備、インフラを確保する。こういった、ある意味当たり前のコトをきちんと行うために、CxO レベルのヒトが強く求められていると思うのです。そのためにも、CMO って必要なんじゃないかなと。

「マーケティング職」を離れて 1 年。そういうコトをますます強く感じるのでした。

そろそろマジメにソーシャル メディアを Paid で使うモノとして考えた方がいいんじゃないかと思う今日このごろ。

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先日書いたエントリーの続きのような感じ。

やっぱり Facebook において “写真” は KING らしい。

今回はタイトルだけで、言いたいコトの半分以上を語ってしまったような気がするのだけれども。実際最近、結構、そう思うコトが多いのです。

今年の 3 月に social@Ogilvy が発表している “Facebook Zero” という white paper を読んでいると、特にそう思ったりするわけで。

この中で、Facebook Page の投稿のリーチ率が、ここ半年ほどで、ダダ下がりになっているというハナシが出ているのだけれども、ソレを見ていると、もう変に小手先の tactics だけでリーチを上げようと考えるくらいだったら、いっそおカネで解決したほうが良くない? と一瞬思ってしまうような状況になっている。

だって、半年前 (つまり 2013 年 10 月頃) には 12.05% あったリーチ率が、今年の 2 月には、6.15% まで下がってしまっているんだから。しかも、ファン数が 500,000 を超える Facebook Page になると、もう 2.11% にまで下がっている。500,000 の 2.11% だから 10,000 人ちょい。

で、こういう状況になっているから、というのもあるけれども、少しでも頑張ってリーチを上げよう、という動きが最近 (またまた) 再燃しているようにも思えるわけで。

たとえば、こういう記事が出ていたり。

Facebookのアルゴリズムに負けないために知っておきたい超重要な23の統計

もう、いつまでも、どアタマの写真を見ていたいトコロなんだけれども、

広告に逃げる企業も多いのが実情ですが、これではGoogle対SEOの二の舞で、結局リスティングに逃げていることと変わりません。

というくだりに、個人的にちょっと疑問を感じたわけで。

もう少なくとも Facebook に関して言えば「広告に逃げる」という発想をも変えた方が良いのではないかと。つまり「広告」は、もう「必要不可欠なモノ」として、運営における前提条件として位置付けてしまおうというハナシ。

だって「写真付き投稿は “いいね!” や “コメント” 獲得数を ○○% 増加させる」云々…、というのを実践したところで、そもそも、リーチ率が、これだけ低かったら、パフォーマンスが 2 倍/ 3 倍に伸びたトコロでたかが知れてるだろうし。そのためにわざわざカネ掛けて写真用意してきたり、あるいは担当者のリソースをちょこちょこと割いたり…、というコトを考えたら、むしろ「広告」を効果的に活用した方が、コスト効率は良いのではないかと思うのです。

実際、以前のエントリーにも記したけれども、「Facebook のアルゴリズムに負けない」ように頑張って、あれこれ工夫しようとすると、担当者的には、やるコト多くなるというのは否めないわけで。そして、これ以上担当者が手弁当でやるのはオペレーション的にも限界に来ちゃっているという状況が (現時点でも) 決して珍しいケースではない、というコトも考えた方が良いのではないかと。

これまで、Facebook もそうだし、あるいは Twitter や、その他の SNS でもそうなのだけれども、基本的に企業がマーケティングないしコミュニケーション活動のツールとして、これらを活用していくにあたって、「タダ、もしくはローコストで幅広いリーチを実現する」というような考えが、どこかにあったような気がするのです。

確かに一時期、ソレは、ある意味正しいケースもあったのだけれども、最近の Facebook Page から発信される投稿のリーチ率などを見ていると、さすがにそろそろ考え直した方が良いのではないかと思うわけで。

もう確実にパフォーマンスを追求していくのであれば、カネ使わずに担当者のリソースを極限まで注ぎこむか、あるいはカネで解決できる部分はカネで解決する、という二択を迫られているような状況にあるのではなかろうかと。

なんというか、もうスマホのゲームに近いような感じになっているのかもしれないね。カネ使わなくても、なんとか出来なくはないけれども、クリアするために、やたらと時間や労力を掛ける結果になると。そうじゃなければ、カネ払ってパフォーマンスを求めようという感じ。

そう考えると、もう (特に Facebook は、そうだけれども) 最初っからソーシャル メディアって、”Paid” で使うモノとして考えた方が、より戦略的なアプローチが出来ると思うし、タダで済ませる代わりに途方もなく浪費するコトになる担当者のリソースも効率良く動かせると思うのよね。

だって、どんなに担当者が「Facebookのアルゴリズムに負けず」に頑張ったトコロで、1 年後、Facebook Page のリーチ率と、 担当者の写真撮影のセンス、あるいはボケのセンスが少し高まるくらいじゃないのかなぁと。一方で、つぎ込んだ (カネ以外の) リソースって、途方も無いモノになるんだろうなぁ、なんてコトを考えてしまうわけで。

であれば、最初っから “Paid” で使うと割りきって、きちんとおカネを突っ込んだ分に見合うパフォーマンスを追いかけていった方がよっぽど健全にビジネスできると思うのです。ただ、ソコまで割り切って考えると、今までは “ファン数” とか “いいね! 数” とか “エンゲージメント率” とかで表されるような、表面的な効果測定で済んでいたモノ (ホントは、済まされないんだけどね) が、そうじゃなくなってしまうのだろうけれども。

おカネを掛ける分、きちんとゴールは明確にする必要が出てくるし、そのゴールに対して、きちんとソーシャル メディア上の活動が貢献しているかを測定するロジックや環境構築というモノが求められてくるようになってくるかと。

でも、もう既に、そういうロジックや環境/ツールは存在しているわけで、あとはもう実践に持って行けばいいんじゃなかろうか、とも思っていたりする。

さすがに、そろそろ “タダで情報拡散 (笑)” という安易な使い方からは卒業した方が良いと思うのよね。

メディア接触時間に関する最新データ (U.S. Adults の場合)

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色々と調べ物をしていたら、ちょうど U.S. における成人のメディア接触時間に関する最新データが出ていた。コレは毎年 eMarketer が調べて発表しているモノ。

SharesOfTimeSpentPerDayWithMajorMediaByUSAdults

コレを見ていると、まず 2010 年と 2014 年を比べて、そもそもメディアに接触している時間そのものが、1.5 hrs. も長くなっているというのに気付く。2013 年以降は、もう 12 hrs. を超えているから、一日の半分以上は、何らかのカタチでメディアに接触している、というコトになるわけで (まぁ、そりゃシゴトしてる時とか、そういう状態も含むんだろうけど)。

あと、やっぱり大きく目立つのが、Digital が、ここ 4 年くらい、TV/Radio/Print/Other を、それぞれ 1% ちょっとくらい吸い取りながら割合を伸ばしているというトコロ。しかもわかりやすく Mobile に集中しているという感じ。要は、TV/Radio/Print に加えて PC からも可処分時間を吸い取って Mobile がどんどん大きくなっているという感じか。

そりゃ、この前 IAB と PwC が発表した “IAB internet advertising revenue report (2013 full year results)” みたいなハナシにもなるよなと。いや、ネット広告が TV 放送の広告売上を抜いたとか、そういうハナシじゃなくて (実際、CATV 含めたらネット広告はだいぶ少ないし)、ネット広告が (それでも) 急成長している背景にあるモバイル広告市場が大きくなっているという部分で。

しかし、さすがに Print、もとい Magazines/Newspapers は、かなり数字として厳しいモノがあるけれども、TV とか Radio って、まだまだ意外と観られている (聴かれている) んだなぁ、というのが率直な感想。むしろ、そっちの方に、ちょっと驚いていたり。

『アド・バード』(椎名誠)

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我ながら、何回買い直したら気が済むんだ…、と思いつつも、また買ってしまった本。最初に手にしたのは、大学に入った頃だったから、もう 20 年も前になるのか…。ちなみに、本作が刊行されたのは 1990 年だから、ソコからさらに 4 年前のハナシ。そういえば、その年の日本 SF 大賞を受賞していたはず。

“アド・バード (集英社文庫)” (椎名 誠)

買って、読んで、人にあげ…、というのを、かれこれ何度繰り返したかわからない。今まで手元に無かった、というコトは、多分以前、誰かにあげてしまったのだろう。自分が「いいな」と思う本って、いつも、こんな調子だから、結果的に何冊買っているコトになっているのやら…。

なんで、毎度毎度手にするかって、なんとなく、今のアドテクって、一歩間違えると、この『アド・バード』で描かれている世界に突っ込んで行ってしまいそうな気がするから。特に、この 1 〜 2 年における最新のアドテク動向とか、今後向かっていくだろうな、と思われる方向性とか、あるいは、ソコから想像される未来図などを思うと、どうしても、この『アド・バード』に描かれている世界がオーバーラップするコトがあって。

(ネタバレになってしまうので、あまり触れないけれども) この作品は、冒頭に「日本 SF 大賞を受賞した」と触れているコトからもわかるように、いわゆる SF モノ。ただ、この作品の舞台設定が、そもそも「2 つの大企業が、お互いに改造生物を使って “広告戦争” を繰り広げた結果荒廃した世界」というモノだったりするわけで。

なんというか、この舞台設定からして、今のアドテクが (何かの拍子に間違って) 暴走しちゃった先の未来を暗示しているような気がするのです。この作品で書かれている世界で、広告というモノはメディアを完全に飛び出しちゃっていて、あらゆるトコロに存在しているような状態。いや、むしろ広告が無い状態というのが、そもそもあり得ないようになってしまっていると言った方がいいかもしれない。

しかも、その広告は生物にまで及んでいて、まさに “広告のために改造された生物” が、人間以上の存在感を持っているような世界。さらに、その “広告のために改造された生物” 同士が、それぞれ競合企業の広告を行う他の改造生物と、(おそらく当事者であるハズの生物自体、自分たちが何をやっているのかわかっていない) 戦いを繰り広げた結果、荒廃しきった世界が舞台になっているわけで。

いや、ヘンなハナシなんだけど、この『アド・バード』で描かれている世界が、ともすれば現実のモノになり得そうな気もして、恐ろしさすら感じてしまうわけで。テクノロジーだけが過度に先行しちゃっていて、ユーザーが半ば置いてきぼりを食らっているようにも見える、今のアドテクの世界が、似たようなモノに思えてしまう時があるのです。そりゃ、広告同士が戦うコトは無いだろうし、ソレ以前に、目の前を飛んでいるトリが、いきなり隊列組んで、企業の広告をやり始めるなんてコトも無いだろうけれども (ちなみに、作品のタイトルである『アド・バード』って、このトリのコトを指している)。

ただ、消費者が不在になってしまったまま、広告の手法や方法論だけが、どんどん高度化し、結果的に広告が消費者をも支配してしまうように見える状態。そして、気が付いたら「誰のための広告なんだっけ?」というコトになるような状態というのは、今、アドテクが突っ走っている時代の中でも、ちらほらと見え隠れしているように思える。

いや、作品中で「蛇口を捻ったら広告が流れる」シーンがあったりするのだけれども、コレって今思うと、決して笑えないような気もするわけで。だって、少なくとも似たようなコトって、デジタルの世界の中では普通に行われているわけだし。

なので、時々自分の中にバランス感覚を持たせるために、時々、この本を読むというコトをしておかなきゃな、と思うのです。この作品が作られた当時「世界初の Web サイト」すら存在していなかった時代なのだけれども、不思議と今のインターネットの世界におけるアドテクの登場、そして、ソレに対する警鐘を鳴らしているかのような作品にも思えてくるわけで。というわけで、ゴールデンウィーク期間中、久々に手に取ってみようかなと。

ここ 2 年ほどの森高千里の活動と音楽ビジネスとデジタルマーケティングと、あと色々。

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先日のエントリーで、ふと森高千里の “海まで 5 分” のコード進行を出してしまったついでに、ちょっとマジメに森高千里のハナシ。

既に、ご存知の方も多いとは思うのだけれども、自身は森高千里の大ファンなのです。で、その森高千里の活動が、この 2 年くらい、つまりデビュー 25 周年を迎えたのを機に、急に active になってきているのは、ご存知のとおりかと。で、このあたりの “Digital” の使い方なのだけれども、コレがものすごくウマくやっているよなぁ、と思うわけで。意外と触れられていないみたいだけれどもね。

森高千里のデビュー 25 周年活動が本格的に始まったのが、まさにデビュー 25 周年当日の 2012 年 5 月 25 日。この日に、オープンさせたのが YouTube チャンネルFacebook ページGoogle+ ページ、そして Twitter アカウントと、いわゆるソーシャル メディアの主だったモノをひと通り。

で、始めたのが「200 曲セルフカバー企画」。つまり、デビューから (一旦活動を休止する) 1999 年までに発表されたオリジナル曲を 200 曲。全部歌い直して、YouTube に上げ続けるというモノ。というか、200 曲って、ほぼオリジナル全曲になるハズなので、まさにアルバムに収録されていようといまいと構わず全部出て来ちゃってるわけで。

・・・と、コレだけだったら、別に「ふーん…」で終わっちゃうのだろうけれども、ココからさらに色々なコトを仕掛けてきている。まずやったのが、レコチョクで、全シングル曲の着うたフルを期間限定価格で一気に売り出した、というモノ。

そしてレーベルまたいで集めた、シングル A 面の 45 曲を 3 枚組にして発売 (そりゃ、もちろん買ったけど…)。

“ザ・シングルス(通常盤)” (森高千里)

さらに、ソレだけじゃなくって、前述の「200 曲セルフカバー企画」として YouTube に公開されている動画を、それぞれ 1 曲ずつ iTune Store で販売していたりする。全部公式チャンネルから普通に見られるのに (いや、それでも何曲か iTune Store で買っちゃったけどさ…orz)。もう 120 曲以上売られてるのかな。

で、さらにさらに続くのが、この「200 曲セルフカバー企画」の収録の模様を「公開収録」として、ミニライヴにしてしまったというハナシ (いや、もちろん行ったけどさ…)。で、この「公開収録」で撮られたテイクは、もちろん YouTube に公開され、さらに iTune Store で販売され…、となっただけではなく、きっちりと DVD/CD のセットで発売されていたり…。


“森高千里 YouTube公開収録 & Live at Yokohama BLITZ” (森高千里)

いや…、実際会場に行ったにも関わらず、買ってしまったんだけど…orz。

他にも、この「公開収録」の直後だったかな? 絶妙なタイミングでオフィシャル評論集出したりとか…。


“森高千里としか言えない” (小貫 信昭)

で、さすがに、もう終わりだろうと思ったら、またさっきも触れた「200 曲セルフカバー企画」を、今度は DVD としてまとめて売りだしちゃったり…。


“デビュー25周年企画 森高千里 セルフカバー シリーズ ”LOVE”Vol.1 [DVD]” (森高千里)

しかも、コレ、全部で Vol. 4 まで出てるのよ…(いや、買っちゃったけど…orz)。

さらに、過去のライヴを「初映像化」というカタチで、当時のパンフレットの復刻版まで付けて売り出したり…。


“森高ランド・ツアー1990.3.3 at NHKホール[Blu-ray+DVD+3CD+豪華ブックレット+ツアー・パンフ復刻(ミニ・サイズ)+生写真+特大ポスター&大判ポートレート]” (ワーナーミュージック・ジャパン)

で、もちろん、その間には久々にツアー始めたり、イベントやらの露出も多くなったり…、と、着々と復活に成功しているわけで。しかも、(特に復活初期段階は) ほとんどのコミュニケーションを、自分のサイトに加えて、YouTube/Facebook/Google+/Twitter でやっちゃってるから、多分相当コスト掛けずにできているんだろうなぁ、と思うわけで。

しかも、YouTube に公開している「200 曲セルフカバー企画」も、ソレを元に、色々とカタチを変えて複数回のマネタイズ (iTune Store での販売/公開収録のチケット収入/DVD 化での売上/その他…) が出来ているわけだし。

なんというか、パッと見、あんまり目立たないようにも思えるのだけれども、コレほどまでにきちんと “Digital” を “Solution” として使っているケースって、特に音楽 (ビジネス) 方面では見かけないよなぁ…、と思うわけで。

いや、決して (ついついうっかり) おカネを払い続けてしまったから言っているわけではなく…、ね。

やっぱり Facebook において “写真” は King らしい。

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ざざっと、色々なサイトを見て回ってたら、ふと目に留まったモノ。Socialbakers のブログで見つけたのだけれども。

Photos Are Still King on Facebook

だって。要は Brand の Facebook Page から発信される投稿の中で、圧倒的に “写真” の割合が高いというモノ (上記記事の一番上のグラフを見ると、よーくわかる)。

30,000 以上の Facebook Page を対象に調べて、その投稿の 75% が “写真” だっていうから、かなーり多いなと。

でも、たしかに Facebook 開けば、必ずと言っていいほど企業 (もとい Brand) のページから飛んでくる投稿って “写真” ばっかりだよね。もっと身も蓋もない言い方をすると「用がなくても “写真” は公開する」というか…。

で、なんで、こんなに “写真” ばっかりなのかってハナシも出てて。結局 “写真” って一番 “interaction” が稼げるよね、というハナシでまとまっているのだけれども、一方で “ソレって、そもそも Facebook Page にたくさんファンがいないと、効果が目に見えないよね” というハナシも出ている。

実際、元記事の二番目のグラフを見てみると、”写真” を投稿した時に “interaction” が多く出てくる (ように感じられる) のって、ファン数が 100 万人以上になってからだ、というのが、なんとなくわかるかと。

で、”interaction” をいっぱい集めてる投稿の上位 10% を対象にすると、その中で “写真” が占めてる割合って、87% とかになってたり。

まぁ、こういう数字が出てると、そりゃぁ、みんな “写真” を上げる方向に走るよなぁ、という感じ。ソレがいいのか悪いのかは別にして、少なくとも “interaction” が集まるというのは、投稿自体が、それだけ多くのユーザーの目に触れているからだろうし。何よりも Facebook Page 上における投稿そのものが、ファン全員の目に触れるという前提に立っていない以上、何らかの形で多くのユーザーの目に触れるというコトが (広告という手段を除くと) 第一になってくるわけだしねぇ。

ただ、その投稿を見ている立場として考えると、”写真” は “写真” でも、ちゃんと投稿内容と関係があって、面白いモノだったらいいなぁと思うわけで。時々あるじゃん。”写真” として投稿するために、あえてテーマと関係無い “写真” を上げてるヤツとか (でも “写真” そのものはキャッチー)。ああなってくると、なんというか「さぁ、”いいね!” 押そうよ。ねぇ、押そうよw」って、無理やり求められてる感じになって、個人的にはあまり好きじゃないなぁ、と思ったり。

しかし、今の Facebook の News Feed のアルゴリズムを考えると、投稿をする担当者的には色々と難しいというか、やるコト多すぎて大変だよねぇ。実際、そろそろ担当者が手弁当でやるのはオペレーション的にも限界にきていて、むしろきちんと広告なり何なり使って、もといカネ使って回したほうがいいような感じにも見えてくる今日このごろ。このへんのハナシについては、また別に書いてみようかと。

アタマの中にふと浮かぶコード進行。

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このブログのタイトルの下に書いてある、

| Eb | Dm7 | C# | Cm | B | Bbm | A | Abm |

って、わかるヒトにはわかるだろうけれども、コード進行なのです。

ただ、コレが何の曲の、どの部分のコード進行かまで、すぐわかるヒトって、多分、ソレほどは多くないかも。

ちなみに、この曲は Monday 満ちる作曲の “I’m Still Here”。このアルバムに収録されている。

“ROUTES” (Monday満ちる)

以前から、Monday 満ちるの曲は、ものすごく好きで、例えば、コレなんかも、今でもずっと聴き続けてたりする。

“PLAY IT BY EAR” (Monday満ちる)

よくよく考えたら、この曲も

| AMaj7 – G#m7 – | D#m7 – A#m7 – | AMaj7 – G#m7 – | GMaj7 – F#m7 -|

という進行なので、結構似たような進行と言えるかもしれない。ちょうど半音ずつ下がってくるトコロとか大好き。

一時期、音楽をひたすらやり込んでいたせいか (というか、シゴトにしてたわけだが)、コトバで上手く説明のしようがない、ものすごーく抽象的な概念を、なんとなく音に例えてしまうようなコトが今でも結構あったりして。たとえば、プレゼン資料を作り込んでいくにあたって、行き詰まってしまった時、突然ノート (なぜか手書き派) に

| EMaj7 – - – | E7 – - – | AMaj7 – - – | AMaj7 – - – |
| F#m7 – - – | E#onG# – G# – | C#Maj7 – - – | F#m7onB – - – |

こんなコード進行を書き込んでしまったり。で、コレがまた、森高千里の “海まで 5 分” のコード進行だったり。

多分、そのときは、“海まで 5 分” みたいな感じ、というのがアタマの中にあったんだろうなぁ…。後で見返してみても、全くわからないのだけれども (メモってる意味が無い…)。

メモ帳を後で見返すと、なんで書き込んだのかよくわからないコードが 3 つほどバラバラに書きなぐられていたりするコトが結構あったりするし。それらを実際に音に出してみても、ますますわからなくなってしまったりするようなコトもあって、悩むコトしばしば。

毎日のように音楽をやってる頃は、むしろ、あんまり、そういうのを感じなかったあたりが、皮肉というか、なんというか。わからないモノです。はい。

「デジタル」が外れた「デジタル屋さん」の、これから。

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自身が、この世界でシゴトを始めて、これまで “デジタル ○○” といった部署だったり肩書だったりというのが当たり前だったなぁ、と、ふと思った記事がコレ (ちょっと前の記事だけれども)。

そろそろ、組織名から「デジタル」を外そう!

でも考えてみれば、かれこれ 2 – 3 年くらい前から、こういうハナシってあったよなぁ、というのも合わせて思い出した。

前職で、自身は “Global Digital Team” なるトコロに身を置いていたのだけれども、そのチームの全体ミーティングで、当時、このチームを仕切っていた VP が、こんなコトを言っていた。

近いうちに、ウチのチームは “Global Digital Team” ではなく、“Digital” という語を取った、別なチームに名前を変えようと思っている。

コレ、多分 2 年くらい前のハナシ。で、結局、この組織が最終的に “Digital” という語を取るコトに成功したのかというと、ちょっと疑問符が付くのだけれども (実は、このハナシをした直後に、当の GM が、別な会社に移ってしまったし…)。

そんなわけで、U.S. でも、おそらくは “組織名から「デジタル」を外そう!” という動きは、あまり急速には進んでいなさそうなのだけれども、遅かれ早かれ、コレは現実のモノになると思うし、実際 “デジタル” という語を外さんコトには、ココから先、今 “デジタル マーケティング” と呼ばれているようなモノって、いつまで経っても変わらないんじゃないかなぁ、と思うわけで。

いや、こういう言い方だと「変わらない = 悪いコト」みたいに見えるのだけれども、実際マーケティングそのものというか、ビジネスとして必要とされる方向性/動きに対して、今 “デジタル マーケティング” と呼ばれているモノがついていけなくなってしまうような気がするのよね。って、もう既に、そうなりかけているような気もするのだけれども。

さっき触れたコラムで、ソレを非常に簡潔に言い表しているのが、

でも今では、企業のデジタルに対する認識は「メディア」ではなく、「ソリューション」です。

という部分。

コレは、今 “デジタル マーケティング” と呼ばれているモノに携わっているヒト全員が認識し直した方が良いんじゃないかな…、と思うわけで。

多分、これまで “デジタル マーケティング” と呼ばれているモノって “デジタル” という名のもとにかなーり特別扱いされていた部分があったような気がするのです。なんというか “デジタル” というのをアタマに付けていれば、どんなに稚拙に見えるモノでも施策や戦略として通用しちゃったり。そう、すっごい case study としてひとり歩きしちゃったりね。あるいは、その逆もあって、例えば、どんなに練り込んだ緻密な施策や戦略も “デジタル” というのがアタマに付いちゃってるがゆえに、十分に検討すらされずに、単に机上の空論扱いされて形にならなかったりとか。

ただ、もう “デジタル” が付いているか否か、という、ソレ自体が何かの判断基準になる時期じゃなくなってきたんだなと。いや、正直「ようやくか…」という感じではあるのだけれどもね。

で、まぁ、その「ようやくか…」という状況にあたって、じゃぁ、今の “デジタル屋さん” が身に付けておかなければならないスキルって、何なのよ、とか、あるいは考えられるキャリアパスって、どんなのがあるのよ、というハナシが続くのだけれども、そういうハナシを書こう書こうと思ってて、なかなか書けずにずいぶん時間が過ぎてしまったような気もして。

というわけで、自分へのささやかな reminder として。