“書きたい” という衝動

何年かに一回くらいの頻度で、無性に “書く” ということにこだわる時期が訪れる。特に理由は無いけれども。ただ、今回の “書きたい” という衝動は、結構本物っぽいのかもしれない。

この 10 年くらい、基本的に (紙の) 手帳というものは全くと言っていいほど使っていなかったし、使う気すら無かったのだけれども、今年は、久々に紙に刻み込むという感覚を大事にしようと思って、実に久々に手帳を買ってみた。思えば、とても衝動的だったのだけれども。

手帳を使っていた頃は、頑なにモレスキン。赤が大好きだったので、真っ赤なハードカバーの Weekly になってるヤツ。

ただ、今回 “書きたい” という衝動に駆られて買ったのはトラベラーズノート

なんとなく、こいつにガシガシと書き刻んでいったら楽しそうだろうな、と思ったのがきっかけ。ちなみに、もう “赤” は卒業したので、色はブルー。3 〜 4 日持ち歩いただけで、だいぶ表面に傷が入り始めたけれども、これがいわゆる “味” というモノらしい。

さて、”書く” ということ。

ちゃんと “書く” という行為を大事にしようという衝動に駆られたのって、多分、これから先、自分が見聞きし、そして知るものが、すぐに忘却の彼方へと消え去ってしまうんじゃないかという恐怖というか危機感めいたものを感じたからなんだと思う。いや、カッコつけずに言えば、単に “自分の記憶力が経年劣化につき忘れっぽくなった” ということなのだろうけれども。

本当は、もっと早く、こういうことを意識しておけば良かったのかもしれない。自分の仕事に関することや、主義・思想の断片を残すだけじゃなくて、それこそ子どもたちのことだったり、自分の前を行き交う (行き交った) たくさんの人達のことだったり。

10 年前、まだ 30 代半ばだった頃には、イメージすることすらできなかったけれども、この歳になって、鬼籍に入る友や、消え去りゆく思い出の場所などの話を耳にするようになると、思うのです。自身の生きた日々や、成した物事は、何かに刻み込んでおかないと、どんどん時間の流れの中に溶けてしまい、やがて見えなくなってしまうんだって。

常にそばにいる家族はもちろん、遠い昔の出来事を思い出させてくれる友や、ノスタルジーを揺り動かす場所というのは、自分の存在や、生きてきた時間そのものだと思うのです。そして、それは、いつか無くなってしまうこともある。なので、自分の手で、何らかの形できちんと “記録” を残しておいた方がいいんだろうなぁ、というのを漠然と考えていたんだと思う。

そんなわけで、今年は “書く” ということに、いつもよりも少しだけ真面目に取り組んでみようと思うのです。